若人は浪人生

東西を股にかける(うろうろする)浪人生の物語

言語と論理~外国語では感動できない!?~【後編】

 前回中途半端なところで終わってしまいました🙇‍♂️


math-cat.hatenablog.com






 それで「ライフイズストレンジ」をやっていて、妙な違和感を感じたんですよね。


 面白いんだけども、感情移入できない。

 私はとても感情移入しやすいタイプなのに。(映画ですぐ涙目になるタイプw)
 でもストーリは気になる。





 この原因はなにか。


 そのときふと、かつてやった英語の入試問題を思い出しました。
(どうやらそれは2016年 早稲田大学 政治経済学部の問題らしい)


 その文章によると、前回冒頭の質問を第二言語で尋ねる実験を行ったそうだ。

 前回の質問とは、トロッコ問題そのものである。

 おそらく有名なので知っている人々も多いかと思われるが、概要は以下の通り。


 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
 この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?




 驚くべきことに、この問題を母語で尋ねられた人よりも第二言語で尋ねられた人のほうが「進路を切り替える」と答えた人が多かったそうだ。

 すなわち、慣れない言語は倫理的というよりも論理的思考力を強化するといえますね。
 さらに言えば、これはその言語の習熟度が高まるにつれ、母語第二言語との「論理的解答」を行った人の差は縮まったそうだ。


 不思議ですね。

 そしてこの問題をわざわざ取り上げたのは、先ほどの「ゲームに感情移入できない」ことの一つの答えになるのでは、と思いました。

 前回の通り、私はこのゲームを英語でプレイしていました。
 このゲームは、主人公の選択によってシナリオが変わるゲームです。つまり選択が物語の一番のカギ。


 そこで先の実験をふまえると、私は知らず知らずのうちに感情よりも論理的な選択を優先してプレイしていたのでは?

 振り返ると英語ではシナリオを把握することに頭を使っており、感情的になれていなかった気がする。
 英語で思考にワンクッションおくことで状況を俯瞰していた気がする。


 結局、感情移入ができなかったのは論理的思考が先行していたから、ということですね。




 こうして、勉強が全く別のものの考察に役立つのは面白いですね~
 勉強って、日常生活に生かせる機会が少ないですから。
(かといって共通テストに無理やり日常的題材をもってくるのはやめてw)



 最後にこの実験が示したことでしめますね。









I am 英弱